国産材と日本の伝統を活用し、木の専門的な観点から家づくりやリフォームを真剣に考えます【木の建築設計】
国産材の木組みの家・耐震補強・シックハウス対策・悪法と呼ばれる改正建築基準法に立ち向かうべく



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きまぐれ通信 2004/12/31号(2005/01/10UP)
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皆様には今年一年いろいろお世話になりました。
今年一年を象徴する文字として「災」が選ばれましたが、年末になってまた「災」の字がまた一つ増えてしまい、言いしえない悲しみに陥っています。

日本では新潟県中越地震による自然災害でも心が痛んでいたのですが、その傷も癒えないうちに、未曾有の自然災害が起きてしまいました。スマトラ島沖で起きた地震による津波の犠牲者は現時点で全世界で12万5千人以上に上り、インドネシアでは8万人以上が犠牲になっています。インドネシア、スリランカ、インドでは家屋を失い、その日の食料にありつけない人が数百万人に及んでいます。感染症や伝染病による犠牲者もかなりの数に及ぶと予想されているので、これ以上犠牲者を増やさないよう世界中の知恵と慈悲で何とか食い止めたいと祈るばかりです。

個人的なことですが地震が起きた時はタイのバンコックに近い所に娘と滞在していました。ニュースを知ってから、旅行を告げた人には連絡をしたのですが、連絡が漏れている方もいらっしゃるかもしれませんので、改めて無事のお知らせをしたいと思います。そして無事に31日お昼頃に帰国しました。ご心配をおかけしました。

タイに滞在中はCNNニュースを見続け、刻々と伝えられる被害の状況に何ができるのだろうかと逡巡しておりました。辛うじてメールができましたので、私が所属している「NPO東京いのちのポータルサイト」のメーリングリストで情報のやり取りをしていました。回線ではインターネットを十分に見られないので、メーリングリストの情報は大変役に立ちました。

私が現地から思った感想は
1.最初に起きた地震の後、その後に予想される余震とそれに伴う津波の警告を日本から発信できないか。
2.タイでは国を挙げて支援が可能であったので、インド、スリランカなどで国内の支援が不十分な地域への食料・飲料水・感染症の予防などの基礎的支援を国際的に行えないか。
3.感染症、伝染病の予防に関して先進国の技術でできないか。
4.犠牲者の救出と身元確認のため、自衛隊の派遣ができないか。

これらのいくつかは前後して行われているとメーリングリストの情報でわかりました。

「ツナミ災害」の刻々の被害状況の報道は時間の許す限りタイでずっと見ていましたが、帰国してからの地上波のテレビでは娯楽番組で埋め尽くされ、ニュースで報道されるだけでした。スポンサーの関係もあり、他国で起きた災害をずっと放映するわけにはいかないのでしょうが、番組を変更しても報道し続けるべきではないかと落胆しています。

 犠牲者の冥福を祈りながら、年を明け、何ができるか考えていきたいと思います。
 新年は戦争も災害のない、自然災害が人災にならない年になるよう心より祈ります。
 大変偉そうなものいいで恐縮しますが、一つのいのちも犠牲にならないよう切に望みます。

 皆様どうかよい年をお迎え下さい。


■木の建築設計は1月10日(月)までお休みさせていただきます。


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■追記(1月6日)

現在北半球では乾季の地域が多いと思います。雨季になる前に感染症、伝染病対策を十分講じておかないと大変な事態になるでしょう。恐らく100万人単位で犠牲になる方がでるのではないでしょうか。SARSや鳥インフルエンザの例を見るまでもなく、人間だけでなくヒト以外の動物を介しての感染は現在の被災地域の範囲を超えるでしょう。政府には【最悪のシナリオ】を想定しての支援を【今】行ってほしいと切実に思います。復興に5年以上かかると思われるので、支援の【継続】も必要です。

また、すでに現地では感染症が懸念されていますので、二次被害をださないよう被災地への渡航は控えた方が懸命です。

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きまぐれ通信 2004/12/02号(2004/12/04UP)
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今年も残すところあと一月を切りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今年は思うように通信を出せませんでしたが、いろいろお世話になりました。まだ、お知らせできていませんが、まちづくりや国産材の需要拡大などの活動を続けております。少しずつ報告したいと思いますので、今後ともよろしくお付き合いください。

11月22日に新宿法人会主催で行われた防犯対策の講演の報告です。

■知って得する防犯対策
【講師】伏見正浩(東日本セキュリティシステム代表)
 講師は盗聴をテーマにしたテレビ番組にたびたび登場しています。
 割と見過ごしている防犯対策を教えていただきました。ご参考にしてください。

○鍵のピッキング
工事現場で職人になりすまし、鍵を一時的に手に入れたり、新築現場周辺の鍵屋で鍵の番号を伝えると合い鍵を簡単に作ることができます。意外と鍵は無造作に放置してしまいますが、犯人は隙をねらって鍵の番号を控えるそうです。また、内部のものが犯人であるケースがあります。退職者やアルバイトが合い鍵を作って侵入するケースも報告されています。

○防犯センサー
電池切れに気を付けてください。犯人はガラスをノックしたりして、警報機が鳴らないか試すそうです。防犯機器はある一定の防犯性能を保証したCPマークの入ったものが推奨されています。
【詳細】→リンク

○車上荒らし
営業などで車内に個人データを置きっぱなしにする場合があると思いますが、それをねらうケースがあります。顧客リストや個人データの管理はしっかりしてください。

○コードレスホンによる盗聴
コードレスホンの子機で話をする人は多いようですが、受信機で簡単に聴かれてしまいます。飛び交っている電波を受信機で聴くだけでは犯罪にはなりません。極力親機で話をするようにしてください。ライバル会社に会社の重要な情報や個人のプライベートな会話が聴かれてしまう可能性があります。現在携帯電話は盗聴できない仕組みになっているそうなので、今のところ携帯電話の会話はご安心下さい。

○施設に設置してある盗聴器
引っ越して入居してみたら盗聴器が仕掛けられていることがあるそうです。そのため講師の会社では引っ越し運送会社と契約し、入居前の盗聴器調査をしているそうです。共同住宅のドアポストに盗聴器を仕掛けるケースもあります。定期的にポスト内部の上に盗聴器が仕掛けられていないか調べてください。

○監視カメラ
事務所ビルや店舗に監視カメラを設置する場合は必ず有線にしてください。ワイヤレスカメラの場合、飛んでいる電波を傍受されて映像が見られてしまいます。

○パソコンで無線LANでの注意
パソコンで無線LANを使用している方は必ずステルス機能を使ってください。パスワードも簡単なものに設定しないでください。大手の会社で社名や部署名をパスワードにしていて情報が漏洩したケースがあるそうです。もしセキュリティ機能を使っていない場合、容易に外から侵入されてパソコンにある情報を入手したり操作されます。

○キャッシュカード犯罪
一時はクレジットカードのスキャニングで被害がでましたが、今はキャッシュカードがねらわれています。ポケットに入れた財布のキャッシュカードがスキャニングされます。この5年間でセキュリティが強化される見通しですが、それまでに駆け込み犯罪が増えるそうです。

☆詳しくは「東日本セキュリティシステム」のサイトをご覧下さい。
  http://www.h3.dion.ne.jp/~busters/

★★日テレ「所さんの目がテン!」12月5日(日)7:00〜7:30★★
  http://www.ntv.co.jp/megaten/
私が内装(天井・壁・床)に使っている「モミの木」がテーマでモミの効用が紹介されます。どうぞお見逃しなく!!ペットを飼っているお宅、高齢者施設、学習塾で好評です。


■リフォームの物件が増えています。
店舗・オフィス・住宅のリフォームについて遠慮なくご相談ください。


■埼玉の木を考える委員会http://saitamanoki.hp.infoseek.co.jp/
伐採見学会などを定期的に行っています。木の建築設計までお問い合わせください。


■共住懇 http://www.ngy.3web.ne.jp/~kyojukon/
新宿区での多文化共生のまちづくりを行っています。
共住懇が参加している任意団体が新宿区に「多文化共生センター」構想の要望書を提出しました。


■『おおくぼ』多文化コミュニケーション紙 http://www.ngy.3web.ne.jp/~kyojukon/
27号が発行されました。学校・親・地域での「教育」の取組が紹介されています。


■木の建築設計は12月21日(火)〜1月10日(月)までお休みさせていただきます。

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きまぐれ通信 2004/07/25号(2004/08/11UP)
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「イラク市民と語る 私たちにできること」講演記録

2004年7月22日に中野で、イラクで人質になり9日間拘束されていた今井さん、高遠さんが講演しました。高遠さんは事件以降初めて人前で話すこともあり、マスコミ各社が取材していました。その日のニュースでは高遠さんの泣く姿だけが印象に残るような報道でしたが、本人はそれほど弱い方ではないようです。

高遠さんは、欧米人ボランティアが投げ出してしまった15〜18歳のドラッグにおぼれるイラクのストリートチルドレンの世話を体を張って取り組んでいました。彼らはちょっとしたことでナイフを振り回してしまうほど荒れていましたが、高遠さんは彼らに技術を身につけさせ、社会復帰させました。彼女の生還をもっとも望んだの彼らでした。

私は高遠さんが生き延びてくれて、日本にとっても、イラクにとっても本当に良かったと思います。3人の救出を願って官邸前でデモした甲斐がありました。

今井さんが講演で言ったように、反戦を訴えるものを単純に左翼のレッテルを貼ってしまうことに私も違和感を覚えます。どの国に属しているかに関わらず、戦争による犠牲者をだしてはいけない。戦争のない社会を作らないといけない。 例え、臆病者と言われても、武力による人道援助ではなく、愛(高遠さんの言う)による交流によって、国際平和を作っていくべきだと考えます。

以下の記録は、言い回しが違っている所も多々ありますが、彼らの意思は伝わると思いますので、少し長くなりますが最後までお読み下さい。

■講演者
【今井紀明】NO!!小型核兵器(DU)札幌プロジェクト元代表。劣化ウラン廃絶キャンペーン・スタッフ。
【田保寿一】90年テレビ番組「スコープ」のスタッフとして湾岸戦争後のクウェートを取材。
        2003年10月からイラクで取材。
【高遠菜穂子】インド・タイ・カンボジアの孤児院やエイズホスピスを手伝う。
         2003年以降、病院調査と医薬品運搬、学校再建を行う。ストリートチルドレンの世話をする。
【イフサン・アリ・スレイマン】イラク北部クルド出身。高遠さんの活動を支援する。
                 ストリートチルドレンセンター設立の準備中。
■講演【今井紀明】
イラクへ行った目的は、劣化ウラン弾の実態を取材し絵本をつくるのためだった。イラクになぜ関わったのかと自問すれば、僕らの世代が関わるべきだと思ったからである。歴史は循環しているように思う。現在、日本は戦争に巻き込まれていく不安がある。

マスコミの報道には不満がある。週刊誌に僕が革マル派であるとか、父が共産党員であると書かれたが事実とは違う。僕は無党派であるが、(平和を志向するものを)「アカ」というレッテルを貼って排除するのはおかしい。雑誌に掲載された石原都知事と西村代議士との対談で僕を左翼と決めつけ、異質なものをひとくくりにするのはおかしい。僕は平和を求めているにすぎない。

自己責任論についてはマスコミが増長させたと思う。マスコミは自らの首を絞めた。

国家は邦人を守る義務がある。事件が起きた当初は、自らの命は自らで守ると考えていたが、それは国家の義務を放棄する前例になってしまうとジャーナリストから警告され、考え直した。

本来はイラク関係の講演会に出たくない。なぜなら僕はイラクの実態がわかっていないので、話をすることはおこがましいと思うからである。イラクのことを含めて歴史や世界情勢についてもっと勉強すべきだと反省している。

事件以降、僕は「市民運動の狭さ」に関心を持つようになった。今回のような会場に足を運ばない若い人にどのように活動の輪を広げているかを考えている。『サイト』『スイッチ』という音楽雑誌で時事を扱っているが、そのような方法がいいと思う。若い人には喫茶店で、相互交流ができる方法で話ができるとよいと思う。個人の幸せを広げていく運動であり、アートを通してやりたいと考えている。

■講演【田保寿一】
イラクで高遠さんと連絡を取り合っていた。4月7日に高遠さんからバグダッドに入るというメールを受けとったが、その後音信不通になり心配していたが、彼女が事件に巻き込まれたことを知った。

(映像を見ながら)ファルージャはモスクが多く、敬虔なイスラム教徒が多いまちである。

(映像で米軍人が少女の荷物の検査をしている様子が映される)ファルージャで米軍人が路上で女性に対して荷物検査をするなどの無礼な態度に対して住民がデモを起こして抗議した。それに対して米軍が発砲し、15人の犠牲者がでた。米軍に対する敵対行動が起こるようになった。

前年10月と今年1月に訪れたときにはファルージャは安定していたが、3月19日に再訪したときには「ファルージャは危険だから帰れ」と言われ、バグダッドに向かった。

米国人4人の殺害事件の後、米軍の攻撃が始まった。米軍は、日中はメディアの目があるので、夜間の空爆を毎日のように行った。(家族を失った母親の訴えが映し出される)

高遠さんはマザーテレサのような人で、彼女を知っている多くのイラク人からも支持され、私も応援している。

■講演【高遠菜穂子】「私のイラクノート」
(冒頭に)4月の事件では皆さんにご心配をおかけし申し訳ない。

この1年間はイラクづけだった。イラクの報告をしだすと8時間かかるが40分で報告する。2003年から3度イラクへ行った。ストリートチルドレンの社会復帰と医薬品を届けるためである。

最初に訪問したのはファルージャの総合病院だった。私はジャーナリストではないので普通の人の喜怒哀楽を伝えたい。

バグダッドでラマディのまちの青年に会ったときに、彼は、ファルージャではひどい状況になっているのに、なぜジャーナリストは来ないのかと訴えていた。そしてファルージャに向かい、病院を見回った。薬品庫はものが足りなく、治療もひどかった。段ボール紙で傷口を覆っている状態だった。

ファルージャはスンニートライアングルと言われる地域で反米的だが、親日的である。個人的な印象はファルージャの人の気質は温厚で太っ腹である。

米軍人が不用意にもってきたポルノ雑誌がきっかけでデモが起こったりした。

米軍が包囲しているのでファルージャへ近づけない状態であったが、ラマディから医薬品のリクエストがあり、ラマディの人がバグダッドに取りに来て現地へ運んだ。

前の訪問の時点で、イラク人の溜まっている米軍への不満を訴えるべきだったと反省している。

米軍の検問はひどく、夜間外出禁止令がでているとき、攻撃を受けたイラク人が夜間けが人を病院に連れていこうとしたら、米軍人に「家に帰って死ね」と言われた。車体に英語で日本からの医薬品を運んでいると書いていても厳しい検問を受けた。軍人は機関銃を水平に向けて検問を行っていて、大変怖かった。

私は帰国し、周りから疎開させられているが、まだ多くのイラク人が殺されている。5月終わり頃からメールを再開し、イラクの友人がわたしのやってきたことを引き継ぐというメッセージを受け取った。

14日にはメールが途絶えていた友人から電話が入った。今イラクでは若い人が反米勢力の外国人にオルグされているとのこと。その友人が米軍に報復したいと言ったのに対して、私は米国人も同じことを言っている、その繰り返しでは戦争は終わらないと告げた。私が米国が悪いと言ってしまえばイラク人を増長させてしまい、余計イラク人の犠牲者がでてしまう。

そのことをたった一人のイラク人が理解してくれて、仲間を増やして、私のしてきたことを自らの力で行ってくれている。イラク人の気質をよく知る人はご存じだろうが、依存体質だったイラク人が、ファルージャの再建に向けて自ら動いていると聞き、大変嬉しい。

ファルージャで72歳の老人は息子を米軍の攻撃で殺された。何の罪もない息子を殺されたと泣いた。自宅に息子を埋めた。孫が「お父さんは寝ているだけなのに穴に入れないで」と泣いて訴えた。米軍は、その自宅を基地として接収し、息子の遺体を掘り出し、蹴飛ばした。

人質事件の時、私たちは手榴弾を突きつけるムジャヒディンに命乞いをしていた。自爆を覚悟している彼らに命乞いをしていた。複雑な心境だ。

■講演【イフサン・アリ・スレイマン】
(冒頭に会場の皆に協力を求め、世界で戦争で亡くなった人に1分間の黙祷をした。)

私は普通のイラク人として話をさせてもらう。ムジャヒディンでもない。イラクには菜穂子さんのような沢山の大使が来ているので、イラク人は皆親日である。

人質事件の時、菜穂子さんを知っているイラク人は皆ショックを受けた。そしてインターネットカフェを拠点に救出のための活動を始めた。場所を提供してくれた店主は私に「あなただけの問題ではない、すべてのイラク人の問題だ」といい、すべて無償で提供してくれた。菜穂子さんは18人のストリートチルドレンの世話をしていたが、その18人の子ども達はファルージャに連れて行ってくれと泣きながら頼んできた。

(事件のことは)日本人には申し訳ない。

菜穂子さんは現在大きなプロジェクトを立ち上げた。それはイラクの人びとの将来に関わるものである。皆さんの協力をお願いします。

3日前にイラクを発ったばかりだが、すぐにでも帰りたい。イラクではセキュリティの問題があり、残した家族が心配だ。

イラクは失業率が50%を超えていて、皆飢えている。飢えているときは人は間違いを犯しやすい。イラクは4年後は自力で再建できているだろうが、今助けが必要だ。

45〜50℃の気温の中で、電気もなく、子どもがどうしているか想像してみてほしい。老人も同様である。飲料水も1〜2日断水することもある。

欧米の企業は既に次の段階でイラクの市場に参入するために、今から覚え書きを交わし、準備に入っている。日本の企業も今から入ってきてほしい。

私の望むことは
1.重傷の患者をイラク外の国(医療設備の整った)で治療してもらいたい。
2.失業率が高いので、トレーニングセンターで技術研修を行ってほしい。

菜穂子さんが世話した子どもは溶接の技術を身につけ働いている。
菜穂子さんが泣いているのに、イラク人はなぜ泣かないかと聞かれたが、私たちは35年以上泣いてきた。

■会場からの質疑

【Q】イラク人はテロリストをどのようにとらえているか。
【スレイマン】イラク人は疲れている。安らかに暮らせる平和を求めている。イラク人は、イラク政府を攻撃する勢力は認めていないが、米軍と敵対する勢力については、認める人と認めないとする人がいる。

【Q】高遠さんを支えてきたものは何か。
【高遠】私は無宗教だが、どの国にも共通のものが愛だと思い(宗教によって表現は違うだろうが)、それを信じている。

【Q】我々にでもできることは何か。
【田保】どんな暴力も間違っている。米国の行動は間違っているし、それに追従している日本は将来に禍根を残すことになる。一人の力では政府を動かすことはできないが、高遠さんは大事なことをしているので、彼女を支援している。

【Q】米国に対してはどう思うか。
【スレイマン】サダム・フセイン大統領は大きな問題だった。しかし、その問題を解決するため にイラクは国を失ってしまった。

【Q】若い人に言いたいことは。
【今井】やりたいことをやるべきだ。決めつけの反戦ではなく、想像力を働かせながら平和を求めていこう。

【Q】イラクの食料事情はどうか。
【スレイマン】基本的な5品は政府からの配給があるが、それだけでは足りない。物資があっても金持ちしか買えない。

高遠さんが立ち上げた「アラブ ホープネット」が紹介された。アラブ全体に限らず世界を視野に入れた活動である。大上段に構えず、些細なことでも自分のできることをしてほしい。これから情報交換の方法を検討する。

■講演後の江原の感想
今回の講演で人質になった二人が、そのまま口を閉ざさずに、今後も活動を続けていくということを知り、安心した。高遠さんはマザーテレサのような人だと思った。マスコミには現れない、芯の強さを感じた。イラク人自身から、これまでNGOで活動してきた人達がイラク人の親日感情を醸造してきたことを聞くことができた。

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きまぐれ通信 2004/02/27号(2004/02/27UP)
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去る2月21日に「国際化市民フォーラムin TOKYO」が文京区民センターで行われました。東京における国際化の動きや教育の現場の報告と国際協力活動の報告が分科会で行われ、全体会で分科会の報告と国際化への課題が討論されました。

私は「東京の国際化の10年とこれからの課題」と「エスニックコミュニティとメディア」に参加しました。

前者の分科会ではまず、東京都における10年間の国際化の流れが報告されました。この10年で家族世帯の定住化が進み、子どもの教育問題やオーバーステイの問題が顕在化してきました。日本は外国人にとってチャンスがある反面、リスクも大きいのが現状です。外国人が経済的貢献は大きいにもかかわらず、外国人差別や偏見がなくなっていません。昨年の実態調査では石原都知事への批判や懸念が浮き彫りになりました。

続いて、武蔵野市国際交流協会の取り組みが報告されました。相談業務は多分野・多言語がキーワードで、専門家と通訳による外国人からの相談を行っていて、遠くは茨城県や大分県から来るほど必要とされているようです。相談者は世間体があり地元では相談できないことを遠く離れたところで相談らしく、外国人が置かれている厳しい立場が伺われます。

日本のビザや入国管理制度が外国人に適切に説明が行われていないためにオーバーステイしてしまうこと、犯罪に至る前のアドバイスが重要であるなどが報告されました。東京都でも地道に外国人支援がされていますが、首長が外国人排斥の政策を打ち出していることによる弊害が大きいようです。

続いて、国際交流の新宿区での取り組みが報告されました。外国人が行政が主催する事業に参加する場合、いろいろな障壁があるために消極的になり、手を変え品を変え参加を促すのに苦労するそうです。新宿区では学校の配布物は国際交流財団で翻訳作業を行っていますが、PTAでは日本語を十分理解できない親との意思の疎通が難しいようです。新宿区の大久保周辺の地域では外国人登録者数が住民の5割を超えているので、行政サービスも多言語対応が必至になります。

最後に、北区の国際化推進の取り組みが報告されました。行政の国際化推進の姿勢を計るのには組織の中に国際化に対応する部署がどのような形であるかを見ればわかります。(因みに新宿区には総括的に対応できる部署がないので、共住懇としてはその部署を設けることを要請しています。)北区では国際化担当課長が孤軍奮闘頑張っているようです。北区では、今後の課題として、行政主導から区民主導へ、子どもの頃からの国際化の養成、多文化共生に向けた地域社会の実現を目指して取り組むそうです。

後者の分科会では、中国語、韓国語、タガログ語でそれぞれ在日外国人向けに新聞を発行している3氏からの報告がありました。新聞発行は広告収入を基盤にしているので、景気の低迷で苦戦している様子がうかがえました。外国人にとって情報は命なのですが、どこにいけば情報を得られるかわからないので、誰で立ち寄る場所での常備が課題だそうです。普通行政機関には寄りたがらないので、駅また図書館が適当な場所ですが、まだ置いてある所は少ないようです。

生活情報の中で、母子手帳の多言語対応が話題になりました。その後、私(江原)が調べた限りでは、母子保健事業団が英語・ハングル・中国語・タイ語・タガログ語・ポルトガル語・インドネシア語・スペイン語の8カ国語の母子手帳を発行しており、各自治体へ問い合わせると入手可能です。どの国の人も母語の教育や文化の伝承が課題のようです。

時間の都合で、全体会議には参加できませんでしたが、国際化、多文化共生の課題の一部が見えました。

私が所属しております地元のボランティアグループ「共住懇」では下記のフォーラムを主催しますす。昨年の「防災のまちづくりシンポジウム」に引き続き、新宿区長を招いて行います。上記のフォーラムでの報告を参考に、これから新宿区において多文化共生をどのように進めるかについて話し合われると思いますので、関心のある方はどうぞご参加ください。

◆◇◆市民と行政の協働による多文化共生推進のための政策フォーラム◆◇◆

「新宿区における多文化共生の地域づくりに向けて」
 
新宿区に暮らす外国人は1980年代から増加を続け、特にここ5年の間に急増しています。外国人登録者数(3万人)も住民全体に占める割合(1割)も都内一となっており、とくに大久保特別出張所管内では外国人の比率が2割を超えています。外国人が増えることによって、地域や学校、行政にとって様々な課題が生じてきました。そうした課題を解決し、誰もが暮らしやすいまちをつくるには、区民、事業者、市民団体、自治体、学校などがそれぞれの役割を果たしつつ、連携・協働していくことが必要です。そうした地域社会の担い手の役割や連携・協働のありかた、今後の展望について対話の場を設け、新宿区における多文化共生の地域づくりを推進するために、本フォーラムを開催します。

  日   時:2004年3月27日(土)13:30〜16:30
  場   所:新宿区立戸山小学校 体育館
  参 加 費:500円(資料代を含む)
  主   催:「市民と自治体の協働による多文化共生推進のための
         政策フォーラム」実行委員会
  参加団体:在日本韓国人連合会、世界の子どもと手をつなぐ学生の会、共住懇、
         新宿区社会福祉協議会、新宿文化・国際交流財団、ほか
  後   援:新宿区、新宿区教育委員会、新宿区社会福祉協議会、ほか
  助   成:日本財団

  13:30 開会の挨拶 実行委員長
  13:40 基調報告 山脇啓造(明治大学助教授)「多文化共生社会に向けて」
  14:20 休憩
  14:30 パネルディスカッション「新宿区における多文化共生の地域づくり」
        パネリスト   中山弘子(新宿区長)j
                 山本重幸(共住懇代表)
                 李淳培(在日本韓国人連合会副会長)
                 森田忠幸(新大久保商店理事長)
                 佐藤 滋(早稲田大学教授)
        コーディネータ 山脇啓造
  16:30 閉会.

■予約・問い合わせ
共住懇 TEL/FAX03-5272-1044
    kyojukon@ngy.3web.ne.jp

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きまぐれ通信 2003/10/10号(2003/11/25UP)
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去る8月30日に共住懇主催による防災のまちづくりシンポジウム「生死を分ける20秒ー耐震住宅があなたと家族を守るー」が大久保地域センターで行われました。第一部基調講演の講師に目黒公郎さん、宮西悠司さん、第二部パネルディスカッションのパネラーに安井潤一郎さん、森田忠幸さん、李仁鳳さん、中山弘子さんをお迎えして行い、約70名が参加し、今後の新宿区の防災政策の転換点となりうる白熱したシンポジウムになりました。

■「地震対策のあり方」 目黒公郎氏
この半年で千葉県南部、宮城県北部、十勝沖と大きな地震が立て続けに起き、近い内に自分の生活圏内で大地震が起きるであろうと誰もが思い始めています。東南海・南海地震は今後30年、50年でそれぞれ40〜50%、80〜90%の確率で発生すると予測され、昨今のメディアの取り上げられ方はそのことが現実味を帯びていることを示しています。

目黒氏が監察医と連携しながら行った阪神大震災の被害調査によると、建造物被害は24万棟におよび、地震直後に5500人の犠牲者を出し、その多くは建物の下敷きになり、92%が地震発生後15分以内に亡くなっています。目黒氏によると、地震防災力は「被害抑止力」「被害軽減/災害対応力」「最適復旧/復興」の3つの総合してとらえられ、そのうち最も重要なのは「被害抑止力」です。阪神・淡路大震災の被害の実態から、緊急かつ重要な被害抑止の方法は建物の耐震補強と家具の固定であることがわかります。

行政が耐震改修の誘導策を講じても一般住宅の耐震改修が依然として進まないのは行政の実施方法が間違っているためで、目黒氏は政府や自治体に対し、住民が自費で耐震改修をした建物について、地震で被害が発生した場合は行政が一定額を補償する方法を提言しています。この方法は地震保険と違い、被害を少なくするように誘導できるのが特筆すべき点です。

目黒氏は、教育とは「人生をまっとうする術」を教えることであり、災害大国日本において義務教育で最も優先させることは防災教育であると唱えています。そのような考えから、防災意識を高めるために「目黒メソッド」を開発しました。

地震の発生からの時間経過のなかで自分の周辺で起こる災害状況を具体的にイメージする方法です(下記ホームページ参照)。政治家や防災関係者は勿論、わたしたち住民もこの方法を実践してみることで明日から始める具体的な防災対策が見えてきます。

医者の誤診は一人の命を殺すことになり、政治家・専門家の判断のミスはまとめて多くの人を殺すことになると目黒氏は常に戒めています。ことを動かすには「人」「もの」「金」が必要とされていますが、その中で「人」が最も需要です。行政は今までに人材育成や人の配置に予算を付けなかったこと、市民側に予算を有効に使える研究者や技術者が育っていなかったことを反省しなくてはなりません。

目黒氏は、事後(復興)の事ばかりを話す防災関係者に異論を唱え、地震防災の基本は「死者」の声なき訴え聞き、お金やエネルギーは事後に被災者のケアに使うのではなく、事前に対策を講じて犠牲者を少なくするために使うべきだと強調し、講演を終えました。

■「20秒の揺れをどうしのぐか」 宮西悠司氏
宮西氏は30年に渡るまちづくりの実践と震災の復興の経験を話しました。阪神大地震の実際の揺れ、木造家屋が壊れる実大実験の様子、地震発生時の神戸の被害の様子をCGで映像化したものが映し出され、現実感が伝わってきました。

いまも阪神大震災の住民復興を進める宮西氏の、「復興は生き延びたものの仕事であり、まず生き残ることが大事だ。その方法をみんなで考よう」という言葉が印象に残りました。そして、「まちづくり」とはもともとお節介をやくことであり、阪神の教訓を活かしていただくために大久保までお節介をやきにきたとおっしゃっていました。

耐震補強の必要性は目黒氏と宮西氏の共通する主張でした。

■パネルディスカッション 安井潤一郎氏・森田忠幸氏・李 仁鳳氏・中山弘子氏
早稲田商店会会長であり、東京いのちのポータルサイト理事長である安井氏は民間が行える災害対策を次々に実現しています。全国の商店街を組織化し、「震災疎開パッケージ」を売り出しています。これは年間5千円で災害時に全国の商店街が避難先として受け入れるというものです。また、「東京いのちのポータルサイト」はホームページやメーリングリストで防災に関する情報交換を行っています。

新大久保商店街では今まであまり防災に関しての取り組みを行ってきませんでしたが、これを機に対策を考え、商店街で流している放送を非常時にも有効に使えるよう考えていきたいと森田氏は表明しました。

韓人会の李氏は、地震の経験がない韓国人は防災に対する意識は低いのが現状で、今後韓人会として情報収集や啓蒙を行いたいと認識を新たにしたようです。

中山氏は「目から鱗が落ちた」と連発し、行政としての意識改革と耐震補強の必要性を痛感したようです。

今回のシンポジウムでは、動員・予算・人材・準備のあらゆる面で不足していて、主催者としての共住懇の問題点を露呈しましたが、それを差し引いてもなお有意義なものであったと思います。そのことは近いうちに新宿区の防災対策へ反映されることで証明されると思います。

■講演者
  目黒公郎氏:
       生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センター助教授 
       都市震災軽減工学/工学博士
       中央防災会議専門委員、政府・自治体の各種防災専門委員を務める

  宮西悠司氏:
       まちづくりプランナー。神戸・地域問題研究所を主宰。
       住民主導型のまちづくりを提唱
       平成14年度日本都市計画学会・石川賞受賞(神戸市真野地区のまちづくりの実践が評価される)

■パネラー
  安井潤一郎氏  NPO法人東京いのちのポータルサイト理事長
  森田忠幸氏    新大久保商店街振興組合理事長
  李 仁鳳氏    在日本韓国人連合会
  中山弘子氏    新宿区区長

●防災に関しては以下のホームページを参考にしてそれぞれが日常から対策を講じてください。
 □目黒公郎助教授の論文『大規模地震の動的被害予測モデル』
  http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf110-6/p900-914.pdf
 □『総合的防災の向上に貢献する災害状況イマジネーション支援システムの構築』
  http://prelude.iis.u-tokyo.ac.jp/manual2/PDF/DSISS.pdf
 □『既存不適格構造物の耐震補強対策を推進する環境づくりのために』
  http://prelude.iis.u-tokyo.ac.jp/research2/social/PDF/shinteian.pdf
 □『既存建物の耐震補強に対する費用対効果評価に関する地震予知情報の利用法』
  http://prelude.iis.u-tokyo.ac.jp/research2/social/PDF/yochijouhou.pdf
 □『公的費用の軽減効果に着目した木造住宅耐震補強助成制度の評価』
  http://prelude.iis.u-tokyo.ac.jp/research2/social/PDF/josei.pdf
 □阪神大震災ドキュメンタリー 
  http://www.h5.dion.ne.jp/~vhanshin/index.html
 □東京いのちのポータルサイト
  http://www.tokyo-portal.info/
 □災害掲示板
  http://plaza7.mbn.or.jp/~mic/
 □インターネットでわが家の耐震診断
  http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/~sidouka/sindan/start.htm
 □八ヶ岳南麓天文台地震前兆観測センター
  http://epio.jpinfo.ne.jp/
 □消防庁
  http://www.fdma.go.jp/index.html
 □30数年にわたる住民主体のまちづくり
  http://www.ashita.or.jp/kh/k28ma1/k28ma100.html
 □新宿区長の職員へ向けてのメッセージ
  http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/kucho/message/20030903.html

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きまぐれ通信 2003/05/20号(2003/05/20UP)
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シックハウスの関する改正建築基準法の施行

去る5月15日にNPO法人 シックハウス対策研究会主催で行われた「シックハウス症候群と子どもたちの健康」と題するセミナーでの田辺新一教授(早稲田大学理工学部建築学科)の講演をもとにまとめました。

この7月から改正された建築基準法が施行されます。主な内容はシックハウスに関わる規制です。ホルムアルデヒドの濃度規制とクロルピリホスの使用禁止です。それと24時間換気設備の設置です。7月以降に着工される新築住宅は対象になります。

人の生活の中で空気の摂取量は以外に多く、人体の全物質摂取量の57%(重量比)は住宅室内空気を摂取しています。因みに食物は7%、飲料は8%になります。かつて水はタダだったのが、現在ガソリンの3倍以上の金額を払ってミネラルウォーターを買って飲んでいるように、空気にもお金を出す時代になるのでしょう。既に酸素バーは存在し、好評のようですが。今回の改正で24時間換気が求められるようになって、それなりのコストがかかるので、ある意味では空気もタダではなくなってきています。

今回規制されるのはホルムアルデヒドとクロルピリホスです。シロアリ駆除剤として使われてきたクロルピリホスは使用禁止です。ホルムアルデヒド入りの建材は放散量により、使用量が制限されます。今後アセトアルデヒドやトルエン・キシレン・パラジクロロベンゼンが対象になってくるでしょう。身の回りにある防虫剤や防カビ剤はこれらの物質でできていますので、この機会にその使用や保管を見直してみてください。なお、この規制に伴い、確認申請の手続きや検査が煩雑になりますので、建て主様のご協力をお願いします。

もともと省エネルギーを目指して光熱費を抑えるために高気密高断熱化が推進されましたが、高気密になると計画換気の必要性が出てきます。新建材から発散される化学物質は、空気の入れ換えがない部屋では人体に影響があり、危険でした。今後は高気密住宅に限らずすべての新築住宅について適用されます。

現在厚生労働省はガイドラインを出して13種類の化学物質ついて規制対象にしていますが、今後50種類以上が規制の対象になるでしょう。裏話になりますが、これらの化学物質はあらゆる工業製品で使われていますので、それを規制すると業界の死活問題になりかねません。今回の改正建築基準法の施行は業界の反発を覚悟しての行為であり、それだけ深刻な状況があるということの現れでもあります。

食に続き住においても自然(素材)への回帰が求められる時代ですね。

田辺新一研究室
 http://www.tanabe.arch.waseda.ac.jp/top.html
NPO法人シックハウス対策研究会
 http://www.sickhouse.jp/

文責:江原 幸壱

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きまぐれ通信 2001/12/24号<その2>(2003/06/20UP)
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前回に続き「山梨・レラの会」の長谷川修さんへの質問です。

【Q】文化を維持するのには言葉と共に、自然の恵みを採取したり自然の中で自由に暮らせる生活圏が大事だと思うが、アイヌ新法とからめてアイヌの生活圏について話してほしい。
【A】一つ一つの権利について説明すると長くなるので、次のように述べたい。アイヌ文化振興法(略)の中で、アイヌ文化はすばらしいといい、特にアイヌ語を後世に伝えなくてはいけないと謳っているが、この法律はアイヌだけを対象にしたものではなく、日本人も含めてのものである。アイヌ語はフチから親へ、親から子供へ伝えられて伝承される。しかし、アイヌ文化振興法では、アイヌ語は大切であるが、アイヌ民族はどうかについては触れていない。現在、生きているアイヌは北海道には3万人がいるし、東京には5千人が暮らしている。アイヌの文化はすばらしいから伝えなくてはいけないと言い、新しい法律のもとで、文化を伝えようという努力を何億円も使って一生懸命している。アイヌが自分たちの言葉を自分で親から教わって子へ伝えたいという気持ちとは随分ずれがある。早い話、日本人が話すアイヌ語でも、そのアイヌ語を残したいというものである。日本人でアイヌ語を勉強している人達は沢山いる。そういった意味ではアイヌ語は残ると思う。しかし、アイヌが獲得したアイヌ語がどこまで残るのか。アイヌとしての誇りやアイデンティティを見いだしてそれぞれが生きられる社会が本当にくるのかどうかを考えると、この新法は旧土人法とあまり変わらないのではないか。我々が求めているのは、日本の中にアイヌ民族が生きているということを大切にしてくれということだけである。土地権やさまざまな権利の要求はあるが、基本的には先住民族アイヌが日本の中にいて、そのことを大切にしてほしいということである。実際は、アイヌの人達の生活は実態調査でも明らかなようにかなり厳しい。特に高齢者の生活は厳しい。中本さんの場合は伝承者ということで特異なケースである。中本さんの様子を見て、アイヌの人達が皆豊かな気持ちで生活をしているのだろうなと思われる人がいるだろうが、そのようには思ってほしくない。実際には、貧しさゆえに年金の掛け金を払えずにいて、年金さえもらえない人がいるほど、厳しい状況にある。

【Q】旧土人法を含めて新しい法律においても、アイヌ以外の人が勝手に作り、アイヌの人に押し付けているのが実態だが、これから先、アイヌはどのようなことを求めていくのか。
【A】アイヌ新法ができるまでに13年間の運動があった。84年の「ウタリ協会」の総会でアイヌ民族に関する法律案を決議した。その中には参政権の問題もあり、国会での議席も地方議会での議席もアイヌ民族に与えてほしいということを謳っていた。重要なこととして、日本政府は今までの同化政策の補償として民族自立化基金を創設して、アイヌ民族が自立できるように支援することが盛り込まれていた。先住民族としてのアイヌの位置付けも謳っていた。
 横路北海道知事は国に対して働きかけようと、懇話会を設けた。その懇話会で3年間議論して報告書を出した。横路知事はそれを法律として国会で決められるような内容に修正した。しかし、それには民族自立化基金も先住民族アイヌの位置付けも抜け落ちてしまった。アイヌ民族の参政権の問題も議論すらならなかった。アイヌ民族が決めたことを道庁が骨抜きにしてしまった。
 そして、97年に五十嵐官房長官の発案で国会の中に有識者懇談会ができた。その議論の中でさらに骨抜きにされた。アイヌ民族が決議した84年の法律案では、@アイヌ民族は先住民族である、A北海道旧土人保護法は屈辱的な差別法である、B明治以降の日本の植民地化政策、同化政策に対して政府ははっきり謝罪をすべきである、という三点を謳っていた。88年に続き97年で完全に骨抜きにされた。
 97年の有識者懇談会4.1答申を読んでいただきたいが、その中で日本政府は歴史的な責任を負わない、と言っている。アイヌ民族のもっとも大きな組織である「ウタリ協会」はその一つ一つを認めてきてしまった。「ウタリ協会」はどこまでアイヌ民族の総意をまとめたか疑問である。「ウタリ協会」としては、アイヌ文化振興法は民族法である、という立場である。私は「ウタリ協会」に対して何度も公開質問状を出して、アイヌ文化振興法がなぜ民族法と言えるのかを問うてるが、答えはいつも同じである。そういう議論がこの13年間続いた。その運動の過程で、日本政府の知恵というものが総結集されて、アイヌは自分たちの主張を貫くことをできないのだろう、という考えになってしまった。
 皮肉にも萱野茂さんが国会議員になったときにアイヌ文化振興法ができたのだが、日本政府の一番やりたかったことは北海道旧土人法を撤廃することであり、アイヌ民族の一連の動きはすべてそれに利用されてしまった、という思いがある。国連常任理事国入りを目論む日本政府にとって旧土人法という差別法が国内に存在していることは不名誉なことである。旧土人法の撤廃は、アイヌ民族に対してどうのというよりも、日本政府が国際的な顔向けとして行っておきたいというものであったと、私個人としては思っている。
 私は、最後のこととして、アイヌ民族の自決権を求めている。自分たちのことは自分たちで決めたいという単純なことである。自決権は皆が意識すべきだと考えている。そこで問題なのはアイヌ民族の中で自分たちで決められる議論ができていないことである。民族問題は百年戦争だと思っているので、それを百年かけても、世代が変わっても遅くはない。残りの人生の中で議論(チャランケ)ができる素地づくりを続けるつもりである。

【Q】死語の世界・輪廻というものはアイヌにはあるのか。
【A】こちらの世界で死ぬと、むこうの世界で先祖や先に逝った人達と生活しつづけるいうことがある。生まれ変わるのとは多少違う。カムイはいろいろな姿でこちらの世界に現れる。カムイは自由に二つの世界を往き来している。イオマンテは象徴的で、ヒグマが毛皮や肉を背負ってアイヌのところに来て、それをまたカムイの世界に送り出す儀式である。ヒグマだけでなく、道具の魂を送り返すこともある。輪廻とは違う考え方ではないか。
 カムイは神のイメージとは違い、人間的な面もあり、アイヌとカムイが議論(チャランケ)したという民話が沢山ある。

【Q】カナダで先住民族の土地権が認められたと伝えられたが、日本ではどうか。
【A】世界の先住民族、カナダのイヌイットやネイティブ・アメリカンやオーストラリアのアボリジニが裁判などで権利を獲得している例は、最近、特に多い。日本の場合は少し事情が違う。日本のアイヌの場合はもともと権利はあった。アイヌは北海道旧土人法の中で、給与地として1戸当たり5町歩(約500ha)の面積の土地を、15年以内に開墾しなければ没収という条件付きで、与えられていた。その権利が守られているかは別であるが。他の国の場合はもともと権利がなく、先祖が住んでいたのでそこに住む権利があると主張して、それが認められた。外国の場合は権利がなかったところでの権利の奪還ということで闘いやすかったのである。日本の場合は給与地という権利があったので、政府としては今さら何をいうか、という論法になる。本来、アイヌ民族は何を主張するかというと、アイヌモシリ(アイヌの生活圏)を返してほしいということである。日本人に出て行けという無茶な要求はしない。歴史的に、日本人を引き取って一緒に暮らしていたという事実もあるし、戦後の混乱期に在日の人をかくまったこともある。ただ、日本が植民地化した北海道をきちっとしたかたちで返すべきではないか。
 「北方領土」の問題について二つの考え方がある。国際法の中で議論する方法と国内法で議論する方法である。アイヌ民族の立場について、有識者懇談会4.1答申の中にも出てくる資料であるが、北方四島は日本のもともとの土地であるとし、日本政府はアイヌ民族が日本人であることを前提として交渉している。現在ロシアと日本の間で話し合われているが、アイヌも話し合いのテーブルにつかせろと主張している。これはアイヌ民族が日本人ではないという考え方である。どちらの考え方で北方四島の返還を解決していくのか、私としては迷いがある。北方四島をまず日本に返還してもらってから、日本人とアイヌが議論するのが正攻法なのか、具体的には困難であるが、現在の交渉段階からアイヌが話し合いに参加することを主張していくのか。私のとる立場は後者であるが、現実は難しい。

【Q】アイヌの住居について解説してほしい。
【A(江原)】アイヌの住居はチセと呼ばれ、木と茅や葭などでできている。一家族二世代あるいは三世代が同居していた。他に付属屋として、倉庫、熊の飼育檻、便所がチセの回りに建てられた。樺太・千島ではトイチセと呼ばれる冬の住居があった。半地下で屋根に土をかぶせたものである。明治時代まで使われていたのではないか。
【A】アイヌ民族は狩猟民族なので、かつては川を中心に移動しながら生活していた。松前藩が支配してきた頃には狩猟生活は崩れてきた。明治時代以降は労働力としてのアイヌの奴隷化が始まり、住むところは制限され、コタン(村)の形態は崩れた。アイヌの生活形態は2〜300年前から崩されていて、チセという形だけは明治の頃まで残った。現在でも白老や二風谷でチセは復元されている。

アイヌ民族と交流ウィーク
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/pirika/ainuweek.html
アイヌの文化継承のために
http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/jyoho10_relay.htm
アイヌに関する活動をしている、支援団体・文化団体など
http://www.alles.or.jp/~tariq/link/linkainugroup.html
先住民族の10年市民連絡会 (INDEC)
http://cgi.tripod.co.jp/indy10/cgi-bin/im_ctcgi.cgi?ref=http://indy10.tripod.co.jp/aboutgroup.htm

情報コーナー 多文化関連をご覧ください。

文責:江原 幸壱

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きまぐれ通信 2001/12/24号<その1>(2003/06/10UP)
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前回はアイヌ料理店「レラ・チセ(風の家)」を紹介しましたが、アイヌについてもう少し紹介させていただきます。以下は、98年に「生活文化同人」(まちづくり・家づくりに関する集まり)が主催した「大平建築宿」(長野県大平での研修合宿)で行った講座の記録です。「山梨・レラの会」の長谷川修さんにお話を伺いました。

 「地域文化の自然観」
    語り手:長谷川 修
    聞き手:江原 幸壱
    記録:江原 幸壱

◇冒頭にビデオ『よみがえれアイヌの知恵 −中本ムツ子さんの生活−』を上映する
 中本ムツ子さんは、週2回アイヌ語教室でアイヌ文化を伝承しているカムイユカラの語り手である。中本さんは祖母のカナパンさんからアイヌ語を学んだ。8年前までドライブインを経営していたが、現在は一人暮らしである。中本さんが教えている千歳のアイヌ語教室は北海道全体で14カ所ある教室の一つで、7年前に一般人向けにできた。
 中本さんには幼少のころ、辛い出来事があった。アイヌであるがためにいじめられ、父が買ってくれた帽子を取り上げられ、捨てられたことがある。そのためにアイヌであることが嫌になった時期がある。アイヌは劣った民族であると書いてある本もあった。そのころはアイスクリームと書かれた看板の字を見るだけでもビクビクしていた。
 アイヌ語を伝えようと思うようになったのはきっかけがあった。結婚して札幌で暮らしていたが、5年前に夫と死別し、故郷に戻りドライブインを始めた。そこに集まってくるアイヌの仲間と語り合う内にアイヌの考え方が好きになってきた。それから改めてアイヌ語を勉強し始めた。白沢ナベさんから多くのことを学んだ。現在は山に出掛けたり、料理をする中で、孫にアイヌの知恵や歌を伝えている。珍しい山菜が手に入ると、料理をして孫を伴って、先祖供養に出掛ける。いっしょにもっていった団子を箸で崩し、団子の魂を先祖の世界へ送ってあげる。
 言い伝えられているアイヌの教えがある。
「老人も赤ん坊も神に近い存在なので、ともに敬うべきものです。」
「この世に役割をもたないものは何一つとして存在しません。たとえ人間に害になるものでも何かの役割があってこの世に存在するのです。」
「真の豊かな者とは食べ物でも着るものでも他の人に分け与える心をもつ者です。」
現在、中本さんは脳に動脈瘤があり、いつ悪さをするかわからない。しかし、中本さんにとって死はこわくないという。あちらの世界では先祖や親が暮らしているから、と。

◇長谷川さんへの質疑応答
【Q】アイヌの人たちはアイヌという言葉をどのようにとらえているか。
【A】アイヌとは人間という意味である。アイヌであることをいつも誇りに思うというか、考え方としてもっているのは、アイヌという言葉をわたしに語りかけられることが喜びであり、誇りになる。「アイヌ ネノ アン アイヌ」という言葉があり、それは人間らしい人間という意味で、そのように言われることがわたし自身の喜びであり、誇りになる。 しかし、ビデオの中にあったように、日本の国の中で、不幸なことにアイヌという言葉が差別用語になってしまった事実があり、現在もなお残っている。ぼくらが子供の頃に「あっ、イヌが来た」というように、アイヌという本来は誇りある言葉なのに日本の人達によって差別する言葉に変わってしまった。
 北海道では戦後間もないころにアイヌの長老たちが集まって「アイヌ協会」という組織をつくった。しかし、普通の生活をするアイヌの人達にとって、差別を受けてたこともあり、自分たちをアイヌということに馴染めなかった。そのようなこともあり、アイヌという言葉を使わずに、ウタリ(同胞)という言葉を使うようになった。これは初めに日本政府が行政主導で行政の言葉として使うようになった。「アイヌ協会」を「ウタリ協会」という呼称に改めて、現在に至っている。2年前に「ウタリ協会」の総会で、新しい法律ができた時点で「ウタリ協会」を「アイヌ協会」に変えようという話が理事会で進められていたが、昨年の総会ではアイヌという言葉を使うことに総意がまとまらず、そのままになった。北海道の場合は日本人にはさほど感じないかもしれないが、アイヌにとってみればアイヌという言葉に差別的な響きがあるように思える。自分がアイヌであると名乗れない状況が現在でも残っている。組織の名前としてすら使うことができない。
 差別用語にまつわる事件が10年程前にあった。北大の林教授が「アイヌは人間と犬の混血だ」と、学生にむかって講義の中で述べた。このとき林教授は糾弾され、謝罪することになった。日本の知識人が、アイヌという言葉を、アイヌが誇りにしているにもかかわらず、それを蔑み、差別を助長するようなことを率先して行っている。それは10年前だけでなく、現在の有識者や政治家の中にも存在し、少数者を排除している。学校や行政においてアイヌについてどのような認識をもっているのかを改めて調査すべきである。これからはそれぞれが議論して学んでいくことが必要である。

【Q】アイヌは無文字文化であり、口承で言い伝えや歌を通してアイヌの自然感や考え方を伝えたが、日常の言葉として使われなくなったアイヌ語についてどのように考え、これからどのようにしていくのか。
【A】私自身は完全に同化されていたので、アイヌ語は親からは教わっていない。だから、子供に言葉を伝えるのは不可能である。北海道の中では各地にウタリ協会の支部があり、アイヌ語教室がある。そのアイヌ語教室の中で言葉は学べるが、札幌で聞いた話によると、講義形式で教室をやっていて、アイヌはそのやり方ではついていけないので、実際は日本人ばかりの教室になってしまっている。それではまずいので、アイヌ語教室とは別に、ピクニックや山菜を採りに行ったり、料理をしながらアイヌ語を勉強するやり方をするようになった。
 アイヌ語は、言語としては田村先生や中川先生のように研究者もいるので残るであろう。しかし、日常語としてアイヌ語を教室で学ぶのは限界があるので、歌や踊り、ピクニックなどの行事を通して身につけようと努力がなされている。例えば、わたしの子供達は「レラ・チセ」で定期的に集まり、ウポポやリムセを学んでおり、ぼくが知らない歌までよく覚えたんだな、と驚くことがある。言葉を伝えたい、アイヌ語を学びたいという気持ちをそれぞれのアイヌがもっていることは確かである。しかし、どのようなかたちで学んでいくかということは難しいことだと思う。
 私自身は以下のように考え、勉強している。昨日はコンサートの前に、囲炉裏にイナウを2本立てて、アペフチカムイ(火の女神)に守ってもらう儀式を行った。他にイオマンテ(熊送りの儀式)などのカムイノミ(神への儀式)がある。時にはわたしもカムイノミの長をするときもあり、それらの儀式の中でも言葉は必要であり、カムイノミのカムイへ語りかける言葉として、日本語ではなく、アイヌ語で語りかけたいと思う。現在はそれを実際に体験することによって、アイヌ語を少しずつ自分の言葉にしていくということをしている。先日、東京でアイヌ式の結婚式が行われ、その結婚のカムイノミはアイヌ語で行われ、結婚の報告とこれからのことをお祈りした。これからはそのようにしてアイヌ語を自分の言葉にしていきたいと思う。

【Q】現在、語学としてのアイヌ語の教室は、アイヌ語を話すフチ(おばあさん)の言い伝えや歌をテープに録音して、それをカタカナあるいはローマ字を用いて表記して教える方法をとっている。フチの語った言い伝えの中には、文字としては残されなかった史実があるはずで、近い将来、それが解き明かされるであろう。自然の中で暮らすアイヌは常にカムイを意識して生活していると言われるが、それについて説明してほしい。
【A】アイヌのカムイを日本語で神と訳しているが、神とカムイのイメージが一緒になるというのが不安に思える。私は個人的にはキリスト教を信じており、牧師にまでなった人間である。現在はそれから離れているが、いわゆる唯一神であるキリストを信じているので、人からよく尋ねられることがある。「長谷川さんはキリスト教を信じていて、しかも、アイヌの宗教を信じているのですね」と。その場合、私には説明のしようがない。アイヌのカムイに対する尊敬・思いは宗教ではなく、生活の中での考え方、あるいは生活の知恵だと思っている。カムイは常に身近にあり、私だけでなく、現在生きているアイヌがもっとも大切にするはアペフチカムイ(火の神)であり、常に身近にいると考えている。フチがよくすることだが、毎朝、ストーブの火を炊くときに、「今日も一日健康で生活ができますように」とお願いする。カムイに対する思いはアイヌならば誰もがもっているものである。表現を代えて言えば、皆さんも人間であるから、皆さんの中にもアイヌのカムイに対する思いと同じようなものを毎日の生活の中でもっていると思う。それは宗教ではなく、山に行けばそこでいろいろなことを学ぶことができるし、人間が唯一のものでなく、自然中で人間がいるのだという考えが当然でてくる。普通の人間が営みをしていく知恵であり、魂であると思う。
 私は旭川出身で、カムイコタン(神の集落)が近くにあり、小さい頃よく話していたのは、カムイミンタラ(カムイが遊ぶ庭)があって、そこにカムイが集まって来てワイワイ遊んでいて、人間もそれに誘われ、一緒に参加している。そういうイメージをアイヌはもっていて、常に身近にカムイを感じている。具体的に言えば、私は山梨県に住んでいて、時々、山に登る。そこでカムイノミ(カムイに祈る儀式)を一人でやる。山に行けば自然があり、一つ一つの木も山菜も植物もカムイであるから、そのカムイのそばにいられるという喜びを感じる。このようなことは私の個人的な体験ではなく、皆さんにもあると思う。それを大事にするか、しないかの問題である。それを本当に大事にするのがアイヌの考え方である。

【Q】日本人の中にも自然に対する思いはアイヌと同様な感覚があったように思う。
【A】アイヌは同化されてきたけれど、一番同化されたのは日本人(和人)ではないか。何に同化されているかは敢えて言及しないが。日本人が素直な人間の姿を取り戻すことがアイヌ以上に切実なことではないかと思う。

東京周辺に暮らすアイヌ民族 http://www.janjan.jp/living/0301290193/1.php
アイヌ語ラジオ講座 http://www.stv.ne.jp/radio/ainugo/
アイヌ神謠集知里幸惠編 http://www.interq.or.jp/snake/apple/shinyo.html
アイヌタイムズの紹介 http://sapporo.cool.ne.jp/kumanesir/

情報コーナー 多文化関連をご覧ください。

文責:江原 幸壱

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きまぐれ通信 2001/12/12号(2003/06/01UP)
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東京周辺に暮らすアイヌの拠点として94年にオープンしたアイヌ料理店「レラ・チセ(風の家)」が中野区新井に移転して1周年を迎えました。それを記念して、去る12月2日(日)に「イランカラプテー ウトゥラノ イペアンロー(あなたの心にそっと触れさせて下さい。一緒に食事をしましょう。)」とうタイトルで、チセノミ(カムイノミ)が行われました。

現在、東京周辺に約5千人のアイヌが暮らしています。関東にはいくつかアイヌのグループがありますが、その内の「レラの会」の会長の佐藤タツエさんが「レラ・チセ」を切り盛りしています。(「レラ・チセ」ができた経緯は『レラ・チセへの道』で詳しく紹介されています。)

店は居壁太(いかべふとし)さんを中心に若いスタッフ(和人の方もいます)が働いています。スタッフは店をやりながら、音楽を演奏したり、踊りを習ったり、工芸をやったりしています。現在、アイヌ文化を紹介する企画が多く、日に何カ所も掛け持ちしながら、音楽や工芸などのアイヌ文化を紹介して歩いています。

アイヌ料理は北海道の食材を用いたもので、ほとんどは鍋ものや煮物などに形を変えて普通に食べられていると思います。特に変わった食材としては、ギョウジャニンニク・鹿の肉・芋の団子(イモシト)などがあります。イモシト・オハウ(汁物)・サホロ(蕎麦焼酎)がお勧めです。是非「レラ・チセ」で試してみてください。料理の説明を受けながら味わうのもいいものです。

常にカムイ(神様)を感じながら生活しているアイヌは、機会があるごとにカムイノミ(神への祈り)を行っています。カムイに対する尊敬と感謝の意味と、現在はその儀式を通してアイヌ文化を若い世代へ伝承するという意味があります。

「チセノミ(新築したときなどに行う)」には「魂入れ」、「魔除け」と「参列者同士の交流」という意味があります。家の中心に炉を儲け、そこにアペフチカムイ(火の女神)を呼んで祈りを捧げます。祈りはトノト(お酒)をイクパスイ(酒棒篦:へら)ですくってイナウ(木幣)にかけて行います。神には直接人間の言葉が伝わらず、言葉の意味をもつお酒をイナウが運んで伝えるそうです。その儀式の間に、参列者もお酒を3回廻し飲みします。最後の人にまわる間に飲み干さなくてはいけないので、多少顔が赤くなる人もいます。

今回の儀式は北海道在住のアイヌが来て指導しました。約90分かけて儀式が行われました。米国の先住民の人も来ていて、アイヌと精神性は相通ずるところがあると話していました。琉球文化やアイヌ文化、他の先住民の文化に接するたびに、自分のアイデンティティとは何なのか、と考えてしまいます。それと同時に、現在も続いている同化政策を何とかしたいとも思います。

アイヌ料理店レラ・チセ
 東京都中野区新井1-37-12 TEL/FAX 03-3387-2252
 http://www.reracise.com/
アイヌ文化交流センター
 東京都中央区八重洲2-4-13 アーバンスクエア八重洲3階TEL03-3245-9831
 http://www.frpac.or.jp/center/center_f.html
アイヌ文化振興・研究推進機構
 http://www.frpac.or.jp/

『レラ・チセへの道』 レラの会著 現代企画室発行
   なぜ「レラ・チセ」ができたか?アイヌの生の声を知ることができます。
『アイヌときどき日本人』宇井眞紀子写真集 社会評論社発行
   「レラ・チセ」スタッフの生き生きとした様子を撮り下ろしています。
『アイヌ文化の基礎知識』アイヌ民族博物館監修 草風館発行
アイヌ文化のいろは。
『アイヌのすまいチセを考える』アイヌ民族博物館編集・発行
   チセのことを写真入りで解説しています。

※情報コーナー 多文化関連をご覧ください。

文責:江原 幸壱

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きまぐれ通信 2001/11/26号(2001/11/26UP)
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米国の建築家F.L.ライト氏設計の重要文化財自由学園明日館の保存修理が完了し、それを記念してシンポジウムが11月25日に行われました。

池袋駅から5分とは思えない閑静な住宅地に自由学園明日館があります。自由学園は婦人之友社を主宰していた羽仁吉一・もと子夫妻によって1921(大正10)年に創立されました。明日館は、夫妻の教育思想に共感した米国の建築家F.L.ライトによって、1922年に中央棟と西教室棟が建てられ、引き継いで、F.L.ライトの下で働いていた遠藤新氏が1924年に東教室棟を、1927年に講堂を完成させました。

校舎としての使用はわずか13年でしたが、その後卒業生の工芸研究などの事業活動の場として使われてきました。1997年に講堂を含む4棟が重要文化財に指定され、足かけ3年に及ぶ保存修理を行い、2001年9月に完了しました。

この保存修理工事完了を記念して、シンポジウムがこの11月25日に「動態保存の実践」というテーマで行われました。パネリストは保存検討委員をしていた内田祥哉氏(東京大学名誉教授)、F.L.ライト研究の第一人者の谷川正己氏(元日本大学教授)、保存修理を指揮していた若林邦民氏(文化財建造物保存技術協会東京事務所副所長)、工事の責任者である齋藤榮氏(大成建設自由学園明日館作業所所長)でした。パネリストはいずれもその道のエキスパートですので大変含蓄ある話や、かなりつっこんだうち明け話を披露しました。

この保存修理工事の特異な点は、半解体(その定義は幅が広いらしく、部分的な解体から柱1本を残す程度の場合も含むそうです)による修理であること、使用を前提とする動態保存であることです。増改築されている建物を保存修理するときに、いつの時点に復元するかが問題になりますが、明日館は講堂ができた1927年の時点に復元することを基本としたそうです。

この建物は米国で行われている所謂ツーバイフォーという工法で建てられています。第1期工事が4ヶ月あまりという短い工期であったためと、日本の風土を十分に理解できていなかったために、土台まわりの腐れや屋根の雨漏りがひどかったようです。文化的価値を損なわず、しかも恒久使用に耐えうる修復にはかなり手こずったようです。

今後、研究施設としての利用の他、生涯学習教室や会議、集会の場として一般に開放されるため、空調を整備し、厨房や倉庫が増築されました。披露宴会場としても利用できるそうです。

今回のシンポジウムを通して、改めてF.L.ライトの偉大さを実感しました。経済性を勘案すると明日館の保存は限りなく不可能であったようですが、明日館を愛する人たちやF.L.ライト信者の支援によって奇跡を起こしました。関係者のご尽力にはただただ頭が下がります。明日館の行く末は私たちの継続的な利用如何にかかっているとも言えます。

皆さんも是非一度お訪ねください。

□重要文化財 自由学園 明日館
  東京都豊島区西池袋2-31-3 TEL03-3971-7535 FAX03-3971-2570
  館内の見学:10:00〜16:00 定休:月曜日、祭日、年末年始
  ※見学できない場合があるので事前連絡した方がよい。

自由学園
 http://www.jiyu.ac.jp/
明日館の写真
 http://www2h.biglobe.ne.jp/~TOWN/town/walking/wa001-j.htm

江原 幸壱

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